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キリストの福音

あわれみ深いイエス様

  • Posted by: admin
  • 2009年8月20日 22:20
  • 福音

すると、その地方のカナン人の女が出て来て、叫び声をあげて言った。

「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです。」 マタイ 15:22


この女性はイエス様に「あわれみ」を求めました。娘が悪霊に取りつかれていて、自分ではどうにもならないことになってしまいました。
どうにもならないことに対して、人は努力をして解決しようとしたり、そこから逃げようとしたりします。

しかし、この女性は「あわれみ」を求めました。
あわれみを求めることは、自分がどうにもならないことを認めることです。
また、信頼できる人にしかあわれみは求めません。この女性は、イエス様を「主」と呼び、救ってもらうことを望んであわれみを乞いました。

私たちは、時に人にあわれみを求めるかも知れません。物やお金や学問に救いを求めるかも知れません。また、宗教のような偶像の神にあわれみを求めるかも知れません。

しかし、求める対象が違っていたら、求める対象が不完全で力不足だったら、それは私たちを救ってくれないのです。

このカナンの女性は、自分の娘がどうにもならなくて救いが必要であることと、その救いを成してくださるお方が主イエスであることを信じてあわれみを求めました。
イエス様はその女性の信仰をほめました(28節)。なぜなら信じる動機と求める対象が正しかったからです。
「救われたい、あわれんでほしい。」「救ってくださるのは、主イエス様だけだ。」

イエス様は、全てのものを支配しておられる万物の創造主です。この方こそ人をあわれみ、完全に救うことができるお方です。

すると、道ばたにすわっていたふたりの盲人が、イエスが通られると聞いて、叫んで言った。「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ。」 マタイ 20:30

この盲人もイエス様にあわれみを求めました。
その後「何をして欲しいのか?」というイエス様の問いかけに、彼らは「目を開けていただきたい」と言いました。

彼らは、良い目医者を紹介してください。今日のパンをください。とは言わなかった。

そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。 ヘブル 2:17

イエス様は、罪は犯されませんでしたが、弱い私たちと同じようになられました。
それは、私たちを同情し、あわれみ、罪からの救いを得させることができるようになるためです。

自分は目が見えない(すなわち罪がある)。という自覚があるでしょうか?そこから救われるために本当の救い主を求めるでしょうか?
私たちは、主イエスに熱心に救いを求めるべきです。イエス様は、すぐに、その場で治してくださいます。

彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』 ルカ 16:24

イエス様は罪からの救いを求める人をいつでもどこでも救うことがおできになります。

しかし、それはその人が生きている間だけです。死んでから、神様にあわれみを乞い、救いを求めても遅いのです。
死後のことは、死んでみなければわからないことでしょうか?まだ先のことなので、考えなくても良いことなのでしょうか?

「福音」とは「良い知らせ」という意味です。しかし、同時にそれは神様からの「警告」でもあります。


ユダが向き直ると、見よ、戦いは前後から迫っていた。それで、彼らは主に叫び求め、祭司たちはラッパを吹き鳴らした。 Ⅱ歴代誌 13:14

ラッパが吹き鳴らされ、みなの準備ができても、だれも戦いに行かない。わたしの燃える怒りがそのすべての群集にふりかかるからだ。 エゼキエル 7:14

ギブアで角笛を吹き、ラマでラッパを鳴らし、ベテ・アベンでときの声をあげよ。ベニヤミンよ。警戒せよ。 ホセア 5:8

旧約時代の戦いでは、よくラッパが使われました。それは、戦争に出るためのときの声でもありますし、一種の危険に対する警告でもありました。

私たちの日常の身の回りでも(電車:非常用開けないでください。ホテル:この水は飲めません。道路:ここから先は入れません)などの警告がたくさんあります。
これらは、みな警告です。行ってみなければわからない。やってみなければ分からないとは言わないでしょう。

聖書の言葉、福音も皆様に警告しています。「罪の問題を解決しないで、死んでしまったら、あの金持ちのように永遠の裁きで苦しまなければなりません。」

イエス様は、どのような人でも求める人には罪の赦しを与えられる。十字架と復活を通して、その救いを確かなものとされました。

復活は、イエス様は死と罪に勝利されたお方であることを教えます。
復活は、私たちに永遠の命と天国があることを教えます。
復活は、イエス様が今も生きて、求める人を救うことが出来るお方であることを教えます。

私たちの罪のために十字架にかかられ、3日目によみがえられたお方こそ、私たちをあわれみ、罪から救うことのできるお方です。


 

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